「 アマチュアとプロフェッショナル 」
『週刊新潮』 2002年1月24日号
日本ルネッサンス 第3回
「世の中、一体どうなっているのか」
1月8日に退職した農水省事務次官の熊沢英昭氏の退職金が8874万円だときいて、大手酪農家の青年が憤った。
肉骨粉入りの配合飼料を与えたというので彼の牧場は約250頭の乳牛を殺処分にしなければならない。
「状況によっては自殺するほどの大損害」というほどの苦しみは、農水省、なかんずく、熊沢氏の無策が大きな原因だ。彼は96年、英国政府がBSE(狂牛病)は人間に感染する可能性ありと発表したときの畜産局長である。BSE対策の一番の責任者だった。にもかかわらず事態を放置し、だからこそ、熊沢氏は「引責」辞任した。
それが、高額の退職金である。事なかれ主義の無能な人材が出世し、得をするのが日本の行政府だ。
彼らはつい先頃までの極めてルーズな対応とは打ってかわって、いまや英国でもしていない世界一厳しい検査体制をしいた。が、後述のように、これもまた、事なかれ主義の結果である。日本の行政がいかにアマチュアの域にとどまりプロフェッショナリズムを欠いているか。その際立ちぶりを米国との比較で見てみよう。
日本政府は96年4月16日に、農水省畜産局流通飼料課長名で都道府県の農政部長あてに「肉骨粉等」を、反芻動物の飼料としないよう、「貴管下関係者に対し周知を図られたい」との通達を出した。農水省はこの通達をもって、日本政府も対応したと主張しているのだが、わずか5行、195文字の通達である。取材した農家、県の指導員、獣医師も、だれもこの通達については、千葉県でBSE感染牛第1号が出るまでは知らなかったと答えた。課長から担当部長への通達は法的規制力もなく、目立たない紙きれにすぎなかったのだ。
一方、畜産大国の米国の対応は素早くかつ強力だったと、米国ウィリアム・マイナー農業研究所・国際普及事業担当副学長の伊藤紘一氏は指摘する。英国が反芻動物への肉骨粉の給与を禁止したのは88年7月18日だが、この動きに呼応してオーストラリアやニュージーランドが英国産の牛、受精卵、飼料などの禁輸に踏み切った。米国は翌89年に英国を含む全てのBSE発生国からの牛、生肉、くず肉、脂肪、分泌腺、胎児血清の輸入を禁止した。
伊藤氏が語った。
「翌90年には農務省所管の動植物健康検査サービス(APHIS)所属の獣医師250人と家畜病理の専門家に対し、英国の技術者の力を借りながら情報と対応策の周知徹底を通してBSEの診断体制を作りあげてしまったのです。」
日本がその後11年目にしてBSE感染牛1頭目を発見し、右往左往の中でBSEか否かの最終判断を英国に頼ったこととは、きわめて対照的だ。
さて米国は、90年時点で全米60ヵ所にBSE診断と農家への指導のための拠点を設けた。91年には、ペットフードからも肉骨粉を追放した。
そして96年3月20日、英国保健省大臣が「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(VCJD)患者が見つかり、原因としてBSEが否定できない」と議会で述べた。BSEが人間に感染することが明らかにされた驚愕の瞬間だ。この結論は当時、10人の患者の調査から導き出されたが英国では、わかっているだけで95年に3名、96年以降は各年に10名、10名、18名、15名、28名というふうに患者が発生、2000年末までの発病者84名は全員死亡した。2001年9月現在で、さらに12名が死亡、生存患者は6名である。
英国政府が人間への感染を議会で公けに認め、英国全土の肉用乳用合わせて1100万頭のうち3分の1を殺処分すると発表した96年、全欧はパニックに陥った。この時の日本政府の対応が、先述の4月16日の5行195文字のおざなりな通達である。一方の米国はどうか。
日本政府の通達とほぼ同時期の96年4月22日、農務省は「BSE」というビデオテープを作成し全米の畜産農家に配布したのである。内容は今みても見事なものである。BSEの発生の歴史、考えられる原因などを詳しく説明したうえで、96年2月時点で米国でのBSEの発生はないが、非常な警戒を要すると注意を喚起、英国のBSE感染牛の映像を5例、詳しく紹介。感染牛らしいケースに気づいたら、直ちに地元のセンターか、連邦政府の担当窓口に連絡してほしいと電話番号まで示している。
先の伊藤氏が語った。
「米国の取り組みの基本は能動的検査です。厳しい輸入規制と並行して、発症か否かにかかわらず3歳以上の牛を無作為に抽出して検査します。結果として畜産大国でありながら、2002年1月12日現在も、BSEを食いとめているのです。」
その米国が、今年からさらに警戒体制を強めた。BSE発生のピークをすぎた英国とは対照的に、99年以来、仏、スペイン、独などで発生牛が急増した。こうした事態を直視し、検査頭数をこれまでの年間5000頭から1万2500頭にふやし、飼料業者にもより厳しい監督を実施するとした。感染源の持ち込みも広がりも絶対に阻止するとの固い国家意思を体現した措置だ。
対策もとらずBSEの出現で周章狼狽し迷走する日本とは大きな違いだ。感染源を特定しようとしない後ろ向きの姿勢も極めて対照的だ。
だがこんな日本政府の対応は初めてではない。2000年に、92年ぶりの発生をみた口蹄疫の時も、同じあやまちの構造の中で、事は推移した。
2000年3月に宮崎市東部の富吉地区で、珍しい症状の牛を獣医師がみつけた。約10日ほどの観察ののち、彼は口蹄疫を疑い家畜保健衛生所(家保)に報告した。彼の診断は正しく、牛たちは口蹄疫ウイルスに罹っていることが判明し同牧場の全頭が直ちに殺処分された。口蹄疫にかかると蹄が痛み歩けなくなり、口が痛み食欲不振になって瘠せ細っていく。感染力の強いウイルスの伝播を防ぐために、法律によって感染牛は直ちに処分されるのだ。
正確に診断した獣医の早い動きによって、このときの口蹄疫は、その後、北海道の牧場で発生しただけで終わった。本来なら、この獣医師、舛田利弘氏は大いに感謝されて然るべきだ。しかし、家保はなんと舛田氏を事実上封じ込めたのだ。家畜の診療をやめて平たくいえば自宅蟄居(ちっきょ)せよということだ。彼に対しては「余計なことをした」「黙っていればよいものを」という類いの非難が集中し、診療も制限され収入も激減した。
また、口蹄疫のウイルスの感染経路も調査されなかった。複数の普及員は中国産のワラが原因としか思えない、このままでは、再び日本に口蹄疫ウイルスが入ってくると警告するが、農水省も厚生労働省も、「感染源が特定されないことは大きな問題か」と述べた武部農水大臣と同じメンタリティで、感染源の特定も結果としてできず、また、しなかった。
全てが同じ精神構造なのだ。
そして今、日本はBSEで世界一厳しい検査体制を整えた。BSE大国英国でも検査対象外の30ヵ月未満の牛も、日本では検査対象となる。科学的判断より政治的判断である。世の中の空気で動く行政は危いことこの上ない。アマチュアの無責任の極致である。本来優秀な官僚たちよ、目覚めてプロになれ。